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新潟地方裁判所 昭和52年(わ)71号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一本件公訴事実は、

被告人は、航空自衛隊第四六警戒群通信電子隊に所属する三等空曹であるが、同群所属の自衛隊員に対し、同群で実施している特別警備訓練を拒否させる目的をもつて、

(一)  昭和四四年一〇月五日新潟県佐渡郡金井町大字新保丙二ノ二七番地に所在する同自衛隊佐渡分とん基地内において、同月一日付の「アンチ安保」第二号と題し、その内容に「良識ある自衛隊員諸君」と呼びかけたうえ、「まさに今の自衛隊はブルジョアジーと一体になつたブルジョアジーの意のままに動くブルジョア階級のロボット・使用人・奴隷ではないか。軍隊とは何か。軍人とは何か。自己批判せよ。(中略)そして立て、ブルジョア階級政府・死の商人打倒のために真の平和国家建設のために。人民の正当なる権利の主張を侵害するデモ鎮圧訓練・治安訓練を拒否せよ。」などと記載した文書各一枚を前記隊内掲示板三か所にそれぞれ貼付掲示して、自衛隊員小沢貞夫らに閲覧させ、

(二)  同月九日前記金井町大字千種丙二九六番地笠井栄吉方板壁ほか二四か所に、「治安訓練拒否」と記載した自衛隊員に特別警備訓練を拒否するよう呼びかけたビラ合計二七枚を貼付掲示して、自衛隊員土生勇雄らに閲覧させ、

(三)  同月一一日前記分とん基地隊舎内廊下、体育館等に「治安訓練拒否」と記載した前同様のビラ合計五六枚を貼付掲示して、自衛隊員大友定信らに閲覧させ、

(四)  同月一八日前記分とん基地内において、同月一五日付「アンチ安保」第三号と題し、その内容に「我々の敵は誰か、我々の友は誰か」「何故我々は治安訓練を拒否する必要があるのか、いや何故我々は拒否せねばならないのか。」と書き出し、さらに、「何故彼らはデモるのか?何故デモらなければならないのか。(中略)何故我々自衛官が彼等を鎮圧するのだ。我々は自衛隊入隊以前は、いや今でも下層貧困階級・勤労人民階級として搾取され抑圧されているのではないか。我々の生活を人間としての生きる権利を勝ちとるために戦つている彼等を何故鎮圧する必要があるのだ。(中略)友よデモ隊は我々の敵ではない。我々の敵はブルジョア政府・帝国主義社会体制だ。(中略)命令なら人を殺してもいいのか、命令なら何をしてもいいのか。いつたい我々は何だ。犬かロボットか機械か? 極東軍事裁判においては上官の命令により捕虜を殺した軍人は処刑された。すなわち何よりも必要なのは良心なのである。何よりも重要なのは『自分は個人はどうするのか』ということなのである。(中略)誰がブルジョア政府の指図で動くものか。俺達が死ぬことを俺達がきめて何故いけないのだ。勝ちとれ自衛隊に自由を(中略)十月十日遂に我々待望の全自衛隊革命的共産主義者同盟―赤軍―が結成された。この赤軍は革命の政治的任務を遂行するための武装集団である。すなわち赤軍は帝国主義日本政府の戦争政策を未然に防止するだけでなく、大衆に宣伝し、大衆を組織し、大衆を武装し、大衆を助けて革命政権を樹立することを任務とし、広範な人民大衆の利益のために全世界人民の利益のために戦うことを目的としている。」などと記載した文書各一枚を前記隊舎内食堂入口扉ほか三か所にそれぞれ貼付掲示して、自衛隊員小端鉄彰らに閲覧させ、

(五)  同月二〇日前記隊舎車庫内に駐車していた隊員送迎用の官用バスの座席に前記「アンチ安保」第三号と題する文書合計九枚をそれぞれ差し込み、翌二一日朝隊員出迎えのため同バスを運行させて右文書を同バスに乗車した自衛隊員土生勇雄らに閲覧させ、

もつて前記警戒群所属の多数の自衛隊員に対し特別警備訓練を拒否するよう政府の活動能率を低下させる怠業的行為の遂行をせん動したものである。

というにあり、検察官は、これらは包括して自衛隊法一一九条二項後段、一項三号、六四条二項に該当すると主張した。

なお本件公訴事実は、当初「怠業」の遂行をせん動したという訴因で起訴されたが、差戻前第一審第一回公判期日において、「怠業」を「政府の活動能率を低下させる怠業的行為」と読み替えた訴因が予備的に主張され、当審第一四回公判期日において、当初の主位的な訴因の主張が撤回されるに至つたものである。

二被告人及び弁護人らは、被告人の行為の構成要件該当性を争うとともに、特別警備訓練は国民の集会の権利、表現の自由を不当に弾圧する違法違憲な治安出動訓練であるから、被告人の行為は違法性を欠くのみならず、右構成要件、罰条を含む自衛隊法全般ないし自衛隊そのものが憲法九条、前文等の諸条項や平和主義の理念に反することが明らかであるから、右罰条は違憲無効のものという他ないと主張し、無罪又は公訴棄却の判決を求めた。

これらの多岐にわたる主張は、そのいずれもが他に劣らぬ重要な法律上、憲法上の争点といわねばならないが、自衛隊法六四条二項に規定する怠業的行為及び同法一一九条二項後段に規定するせん動の意義内容については、諸法令において同様の規定が多くみられるとともに、ことに後者については多数の裁判例も集積されており、自衛隊法全般ないし治安出動の訓練の憲法適合性に関する具体的かつ詳細な吟味をまたずとも、その内容を一義的に確定することが容易であるばかりでなく、仮に被告人の行為がこのようにして確定された構成要件に該当しないとなれば、その余の争点について判断するまでもなく被告人は無罪となる理である。そこでまず、被告人の行為が検察官主張のように怠業的行為のせん動に該当するか否かについて検討することとする。

三本件各証拠によれば、次のとおりの事実が認められる。

(一)  被告人は、昭和三九年三月宮崎県串間市内の中学校を卒業して熊谷市所在の航空自衛隊第四術科学校に入隊し、昭和四三年三月同校を卒業して三等空曹に昇任し、前記航空自衛隊佐渡分とん基地に所在する中部航空警戒管制団第四六警戒群(以下単に「同群」ということがある)通信電子隊電子小隊に配属され、昭和四四年九月当時、同基地内の営舎内に起居しつつ同小隊レーダー整備班第四クルー長としてレーダー機材の整備点検の職務に従事していた。

なお、同群は、航空自衛隊入間基地に所在する中部航空方面隊中部航空警戒管制団に所属し、群本部、通信電子隊、監視管制隊及び基地業務隊から成り、約二七〇名の隊員をもつてレーダー監視による航空警戒管制業務にあたつていたもので、同群が所在する同分とん基地は、金井町中心部から隔たつた山腹にあつて、群本部及び基地業務隊ならびに他の二隊の庶務関係業務を主体とし、本部庁舎、営舎等を有するベースキャンプ地区、金北山頂にあつてレーダー、電情機材が設置され、監視管制業務を主体とするオペレーション地区の二地区に大別されていた。また同群の隊員構成は、群司令以下尉官以上の幹部が約二〇名、一等空曹が二〇名ないし三〇名、その余が二等空曹以下及び自衛官でない隊員というもので、全隊員のうち約一〇〇名が二五歳未満の若い隊員であつたが、他方で一等空曹以下の自衛官のうち約一六〇名は各内務班ごとに班長、副班長を定めて営舎内に居住しており、そこでは日常生活の細部にわたる内務指導や群司令、各隊長らによる定期的な服務点検が行なわれ、外出には許可が必要とされていたほか、営舎内居住隊員が外出時の休息のため借りている下宿に対しても、年に一度は交友関係も含む日常生活の指導のための下宿点検が行なわれていた。

(二)  被告人は、かねて自衛隊の現状と隊員に対する種々の規制に強い不満と批判を抱き、資本主義社会はブルジョアがプロレタリアを搾取弾圧する階級社会であり、ブルジョア階級政府たる日本政府は、共産主義諸国を封じ込めるとともに我国プロレタリアへの支配を強化するため日米安保条約を締結してアメリカ合衆国に隷従しており、自衛隊は資本主義体制を維持し人民を弾圧するための実力装置として維持利用されているものと考え、共産主義社会を実現するためには、腐敗した高級幹部を糾弾し隊員の意識を覚せいしていわゆる人民の軍隊に改組し、革命の前衛的役割を果たさせなければならないと考えていた。そこで既に昭和四四年五月ころから、営舎内居住義務を根拠とする外出等に対する規制や生命保険加入の勧奨等に対し強い批判と反発を示すとともに、同群通信電子隊長西元陸朗に右のような考えをもらすなどし、その動静は同隊長の注視警戒するところとなつていたが、さらに同年九月上旬ころ、いわゆる佐藤首相訪米の時期が近づき安保条約廃棄、沖縄返還等に関する一般世論が高まりつつあると感じる一方で、昭和四四年度第四六警戒群練成訓練計画の実施に関する同年六月二五日付同群司令浜峻の通達に基き、同隊において特別警備に関する法的知識の講義等が開始されたため、右のような自分の思想を発表して隊員の意識を覚せいさせるには、この機をおいて他に適当な時機はないと考えるに至つた。

そこで被告人は、その手始めとして、同年九月中、下旬ころ「アンチ安保」第一号(同月二四日付)と題する更紙大のガリ版刷りのビラ約四〇枚を作成し、新聞販売店に依頼して新聞に折り込ませて、同月二六日ころ同分とん基地内に配達させたり、同日ころの深夜本部庁舎内三か所の掲示板に合計三枚を掲示した。その内容は、「民主主義とは、軍隊とは」の見出しの下に、人民の武装による抵抗権の正当性を主張し、「安保とは」の見出しの下に、自衛隊がブルジョア階級の利益維持のためのロボットに過ぎない旨主張し、「沈黙は罪である」として「現体制打倒」「安保粉砕」「沖縄解放―独立」をめざして一致団結することを呼びかけたものである。次いで被告人は、そのころ「アンチ安保」第二号(同年一〇月一日付)と題する前同様のビラ約四〇枚を作成し、同年九月二九日昼ころ同庁舎一階便所内に「アンチ安保」第一号とともに各二枚を掲示したり、同月三〇日、前同様の方法で同分とん基地内に折込配達させた。右第二号の内容は、「沖縄共和国万歳!」の見出しの下に沖縄の独立佐藤訪米阻止等を主張し、「腐敗軍人・労働貴族を告発せよ」「安保をつぶせ!」「良識ある自衛隊員諸君」の見出しの下にブルジョア階級政府、死の商人打倒等のために立ち上がることを呼びかけたものである。

(三)  さらに被告人は、同群司令による特別警備練成訓練実施に関する第四六警戒群一般命令(同月二九日付)をもつて、同年一〇月四日から実施されることになつた同群の統一訓練としての特別警備訓練に対し、同訓練は平常時基地内に侵入しようとするデモ隊等多数人を徒手格闘により阻止排除するための訓練であるが、そのようなデモ隊等は社会の矛盾を正そうとする集団であつてこれを阻止排除することは許されず、結局同訓練は人民の正当な批判を弾圧する不当な治安訓練というべく、これを放置すれば武器を使用して街頭鎮圧を行なう治安出動の訓練にまで容易に拡大される虞れがあると考え、隊員に対しこれらの治安訓練の不当性を訴えてその拒否を呼びかけ、もつてこれらの訓練に対する隊員の批判的検討を促そうと企てるに至つた。しかしながら、右拒否の呼びかけに直ちに追随者が現われることは予想するところではなく、隊員の階級的な地位、役割についての自覚と自衛隊や治安出動に対する批判を喚起することが最大の目標であり、自分が自衛隊法違反の罪に問われること自体、隊員に対する働きかけとして大きな意義があると考えていた。

(1)  そこで被告人は、「アンチ安保」第二号の末尾余白に万年筆で「人民の正当なる権利の主張を侵害するデモ鎮圧訓練・治安訓練を拒否せよ。」と記入したうえ、公訴事実(一)記載のとおり、同月五日午前零時ころ同庁舎内三か所の掲示板に合計三枚を貼付掲示し、同日夕刻ころまでの間に隊員榎達男らに閲覧させた。

(2)  次いで同月八日ころ、赤マジックインキを用い白紙(縦約三六センチメートル、横約一二センチメートル)に「治安訓練拒否、全自衛隊共産主義者同盟」と記載したビラを作成し、これを単独で、またはこれと同時に作成した「ブルジョア政府打倒」「佐藤訪米実力阻止」「沖縄解放」「安保粉砕、全自衛隊共産主義者同盟」などと記載したビラと並べて、公訴事実(二)記載のとおり、同月九日午前零時ころから約二時間にわたり、民家板壁、電柱、公民館ホール門柱など二五か所に合計二七枚を糊で貼付掲示し、隊員榎達男、同土生勇雄らに閲覧させた。被告人がこの時貼付掲示したビラの合計枚数は、右の五種類を合計すると三八か所に九八枚というもので、その中では安保粉砕云々と記載したビラが三一枚で最も多かつた。なお、金井町内には営舎外居住者約一一〇名のうち九〇名位が居住しており、右各ビラの掲示場所はその殆どが隊員送迎用定期車両の発着所付近もしくはその通過する道路に沿つていた。

(3)  次いで被告人は、同月一〇日ころ、前同様の白紙に赤マジックインキで「治安訓練拒否」と書き、その左脇に「全自衛隊共産主義者同盟」「全自衛隊革命的共産主義者同盟」「全自衛隊平和主義者同盟」「全自衛隊マルクス主義者同盟」などと記載したビラを作成し、これを単独で、またはこれと同時に作成した「命令なんてくそくらえ」「勇敢なる同志達よ立て結集せよ」「帝国主義者死の商人追放」「われらに自由を与えよ」「戦争はいやだ」「ブルジョア政府打倒」「佐藤訪米実力阻止」「安保粉砕」などと記載したビラと並べて、公訴事実(三)記載のとおり、同月一一日午前二時ころから約二時間にわたり、同庁舎内廊下等三五か所に合計五六枚を糊で貼付掲示し、多数の隊員に閲覧させた。被告人がこの時貼付掲示した合計枚数は、右各種ビラを合わせて五九か所に一二八枚というものである。なお、当時自衛隊には右のような名称の組織、団体は実在しておらず、これらの名称を用いた活動も他には行なわれていなかつた。また、同群では、その日のうちに各隊ごとに隊長らによる隊員の個人面接が実施されたが、被告人は、その席上「私が自衛隊法を破ることによつて、自衛隊法が憲法違反であることを身をもつて裁判所に判断してもらう」旨の発言を行なつた。

(4)  次いで被告人は、同月一四日ころ「アンチ安保」第三号(同月五日付)と題するガリ版刷りのビラ約四〇枚を作成し、同月一八日午前八時ころ、朝礼後に実施される特別警備訓練への参加を拒否したうえ同庁舎内に掲示しようと、企て、右ビラ約二〇枚を持つて同庁舎前広場で行なわれた朝礼に参加し、朝礼終了後の午前八時一五分ころ、西元通信電子隊長から「ただ今より群の行なう特別警備訓練に参加する、勤務で支障があつて出られない者は列外に出よ」と命じられたのに対し、他に勤務のあつた隊員一〇名位とともに列外に出て、「自分は特別警備訓練を拒否する」旨発言し、自ら率先して同訓練を拒否する態度を示したうえ、同隊長から営内待機を命じられるや、同隊通信小隊長小端鉄彰の制止を振り切り、同庁舎内三か所に合計四枚をセロテープで貼付掲示した。その内容は、「我々の敵は誰か、我々の友は誰か」「友よデモ隊は我々の敵ではない、我々の敵はブルジョア政府・帝国主義社会体制だ」「人民の軍隊、赤軍へ結集せよ!」等の見出しの下に、治安訓練を拒否すべき理由は隊員自身がプロレタリア階級の一員であるからだと主張し、隊内における自由、民主主義の確立と同月一〇日結成されたという赤軍への結集を呼びかけたものである。被告人は、その場にかけつけた警務官に任意同行されて取調を受けたうえ、即日同隊電子小隊第四クルー長の職務を免じられて同隊本部班勤務を命じられ、あわせて営舎内での内務副班長の地位を免じられた。

(5)  さらに被告人は、同ビラを隊員送迎用の定期車両に乗車する隊員に閲覧させようと考え、公訴事実(五)記載のとおり、同月二〇日午後九時ころ同庁舎内車庫に格納中の隊員送迎用バス内に立入り、各座席の安全ベルトなどに一枚ずつ合計九枚を差し込み、翌二一日早朝金井町大字千種地内の発着所から同バスに乗車した隊員土生勇雄らに閲覧させた。

(四)  同群で行なわれることになつた特別警備訓練は、いわゆる一九七〇年の日米安全保障条約の再検討期を目前に控えて、東京その他で過激派学生らによる同条約粉砕などを目的とした抗議活動が活発化し、防衛庁、自衛隊基地等に対する侵入や官公署に対する襲撃等が相次いだ当時の社会情勢に鑑み、この種不法事犯に対処するために実施されるに至つたものである。同群では、昭和四四年四月ころ中部航空警戒管制団司令の通達により実施を命じられた同団の練成訓練計画に基き、同年五、六月ころ、群の行なう特別警備訓練とその補完として各隊単位で行なう訓練の実施時期等概略を定めた同年度練成訓練計画が作成され、同群司令による同年六月二五日付通達をもつて各隊長にその実施が命じられたが、さらに群の行なう特別警備訓練に関しては、同月二四日航空幕僚長が発した「特別警備実施基準について」と題する通達や同団司令部から配布された資料等を参考に、別途その細目を定めた実施計画が作成され、同群司令による前記同年九月二九日付一般命令をもつて、各隊長に指揮下の隊員を参加させることが命じられた。右によれば、群の行なう特別警備訓練の内容は、五〇人ないし一〇〇人の侵入者に対処できるもので、不法侵入者が火炎びんやラムネ弾程度のものを用いることを想定し、その阻止排除の手段として徒手、木銃又は拒馬の使用が予定されていたが、放水や催涙ガスの使用は器具がないため予定されておらず、同年一〇月四日の法的知識の講義を皮切りに、概ね同月のうちに阻止制圧隊形、図上演習、実動演習、相手方使用武器に対する知識等合計七項目の訓練が行なわれる予定であつた。

ところが、同年九月二六日、二七日と相次いで「アンチ安保」第一号が同分とん基地内に配達あるいは掲示されたため、そのころ開かれた隊長会議の結果、右ビラの内容の過激さに鑑み、今後掲示されたこの種ビラは直ちに撤去して隊員の目に触れないようにすることや、その侵入経路の調査等の対策がとられることになつたほか、さらに同年一〇月五日、公訴事実(一)記載のとおり「デモ鎮圧訓練・治安訓練を拒否せよ」との記載のある「アンチ安保」第二号が掲示されたため、同群司令や各隊長らは、その筆蹟と被告人の平素の言動から推して被告人の作成、掲示によるものでないかとの疑いを抱くとともに、その文言自体はデモ鎮圧訓練、治安訓練というもので必ずしも特別警備訓練と必然的な関連はないが、掲示の時期からみて明らかに同群で行なわれる特別警備訓練の拒否を呼びかけたものと考え、若い隊員への影響や隊内に異分子が潜んでいることにより起こるべき不安、動揺を強く危惧するに至り、同月六日には、同群司令により各隊長に対し、形式ばらない自由な討論や日常の隊員との会話の際の機会教育等を通じて、隊員の間に起こるべき動揺を抑えることが命じられた。さらに同月一一日、公訴事実(三)記載のとおり同分とん基地内に多数のビラが掲示されたため、同群司令は、直ちに各隊ごとの個人面接と士気低下防止の教育等の措置を命じるとともに、航空警務隊に警務官の分遣、捜査を依頼し、同月一八日被告人が同訓練を拒否し「アンチ安保」第三号の公然掲示の挙に出るや、即日中部航空警戒管制団司令に仰いで被告人を前記のとおり配置転換させ、公訴事実(五)記載のとおり官用バス内に「アンチ安保」第三号が発見された同月二一日以降は、当直勤務の増強、警衛隊の巡察強化等の措置を講じた。

この間、法的知識の講義の教官に予定されていた隊員が、右一連の事件の調査に忙殺され準備不能になつたことなどから、同月四日に予定されていた講義は延期され、さらに同群司令による同月八日付一般命令により、特別警備訓練の各項目につき日程の変更もしくは一部取消が命じられたが、その後も被告人のこれら一連の行為の背後関係や懲戒処分のための調査活動に多大の人手を要することになつたため、同月六日から二二日までの間阻止制圧隊形の訓練が六回実施されたのみで、他の項目の訓練はいずれも延期され、同年一一月初めころ同群司令の一般命令により中止されるに至つた。

(五)  これら一連の経過を通じ同群司令、各隊長はじめ幹部らが最も危惧したのは、被告人の現体制、自衛隊、特別警備訓練等に関する見解に同調して訓練拒否者が現われることと、隊内に自衛隊等の批判を公然と行なう異分子が現われたことによる隊員の不安、動揺であつたが、各ビラの内容や特別警備訓練について隊員の間で格別の議論が起こることがなかつたのはもとより、被告人に追随同調して同訓練を拒否する隊員もなかつた。また、幹部の間では、同群の行なう特別警備訓練は、出動命令の下令されていない平時下基地内への不法侵入者を阻止排除せんとするもので、被告人が用いたデモ鎮圧訓練ないし治安訓練という文言が連想させる治安出動の訓練とは別物であつて、なんら違憲、違法の疑いのないものであるとの認識が一般であり、一般隊員の間でも格別これに反する主張や見解はみられなかつた。

なお、特別警備訓練なるものの目的、内容について附言するに、被告人及び弁護人らにより、同訓練が違憲違法な治安出動訓練であるとの主張がなされていることは前記のとおりであり、差戻前第一審裁判所は、防衛庁長官が前記航空幕僚長通達の押収を拒否したことにより、特別警備訓練と違憲違法との主張がなされている治安出動訓練の異同を確定することができないとの理由で、検察官からの同通達起案者等の証人調請求を却下したうえ無罪の判決をなし、控訴審裁判所は、この点につき裁判所の合理的裁量の範囲を著しく逸脱した違法があるとして、破棄差戻の判決をなした。しかしながら、本件公訴事実の内容が、当時同群で実施されることとなつていた特別警備訓練を呼びかけたことにあることに鑑みると、当時被告人はじめ一般隊員がその内容を知悉していたとの確証がない右通達の解明を不可欠とし、右通達等に定める特別警備なるものないしその訓練の秘匿された目的や内容、治安出動訓練との異同を確定することは、必ずしも本件起訴の当否を判断するために必要とは思われない。しかして、当時同群で実施されることとなつていた特別警備訓練の目的、内容等は当裁判所が本件各証拠によつて知り得る限りにおいては右判示のとおりであつて、この点は被告人の検察官に対する昭和四四年一一月五日付各供述調書に照らしても明白であり、これに反する証拠はない。

四右に認定した事実を前提に、以下被告人の行為の構成要件該当性を判断することとし、まず自衛隊法六四条二項に規定する怠業的行為の意義を検討するに、検察官は、右にいう怠業的行為とは同条項に規定する争議行為以外のもので、隊員が個々に又は共同して一定の目的を実現するため、故意に服務基準に違反して職務の遂行を懈怠することにより、政府の活動能率を低下させる一切の行為をいい、争議行為の場合と異なり集団性は必要でなく、業務の正常な運営を阻害するに至ることも要しないと主張する。検察官のいう「一定の目的」という限定の具体的な意味は必ずしも明らかでないが、仮りに、その職務が政府の活動能率に影響を及ぼすものである限り、隊員の職務懈怠の動機が個人的な都合や信念に基くものであつても常に怠業的行為が成立することを意味するのであれば、その不当なことは多言を要しないと思われる。

すなわち、自衛隊法六四条二項(以下単に「本条項」ということがある)による争議行為及び怠業的行為の禁止は、「団体の結成等の禁止」という見出しの下に、一項において組合その他の団体の結成、加入を禁止したのに引続いて規定されており、個別的な労働関係における一般服務上の義務に関する諸規定、就中職務遂行の義務を定めた同法五六条及び上官の命令に服従する義務を定めた同法五七条とは直接の関連性がないうえ、同法は、本条項違反の行為に対し、平時においては三年以下(一一九条一項三号)治安出動命令を受けた者については五年以下(一二〇条一項一号)防衛出動命令を受けた者については七年以下(一二二条一項一号)のそれぞれ懲役又は禁こに処するとしているが、他方では、上官の職務上の命令に対する積極的な違反たる反抗及び消極的な違反たる不服従に対し、平時における単独での反抗、不服従及び多数共同にかかる不服従は不可罰とするものの、平時における多数共同にかかる反抗及び治安出動命令を受けた者にかかる反抗、不服従については三年以下(一一九条一項六号、七号)、治安出動命令を受けた者の多数共同にかかる反抗について五年以下(一二〇条一項三号)、防衛出動命令を受けた者にかかる反抗、不服従について七年以下(一二二条一項三号)のそれぞれ懲役又は禁こに処するとしているほか、警戒勤務中正当な理由なく勤務の場所を離れ、又は睡眠し、若しくはめいていして職務を怠つた者に対しても、それが防衛出動命令を受けた者であるときは七年以下の懲役又は禁こに処する(一二二条一項五号)としており、本条項にいう争議行為及び怠業的行為は、右の反抗、不服従又は単なる職務懈怠等一般服務上の義務違反の罪とは明らかに別個の行為類型であつて、より違法性ないし可罰性の程度の高いものとして規定されていること、また、右の反抗、不服従又は単なる職務懈怠の場合も、その職務の性質によつては政府の活動能率の低下が起こり得ると思われるし、多数共同にかかる反抗、不服従の場合にはその蓋然性が一層強いことが明らかであるが、検察官の主張による限り、これらの行為と怠業的行為とを画するものは政府の活動能率の低下の有無だけとなつて、その間に判然とした区別はなし難いのみならず、それらの行為が政府の活動能率の低下を来たすとの理由で一律に怠業的行為にも該当するとするときは、防衛出動命令を受けた者の場合を除き、多数共同にかかる反抗のみを同一条件下での怠業的行為と同列に扱い、単独での反抗、不服従より重い法定刑に服せしめるとともに、平時における単独での反抗不服従及び多数共同にかかる不服従を不可罰とする自衛隊法の趣旨に明らかに反する結果となること、他方、本条項は、警察予備隊の設置に際し警察予備隊令八条二項により、国家公務員法九八条四項、五項による争議行為等の禁止の規定が同隊の職員に準用されたことに端を発し、同隊が保安隊に改組されるに伴い、保安庁法五九条が、職員の団体の結成等の禁止の見出しの下に、一項において組合その他の団体の結成、加入の禁止、二項において争議行為及び怠業的行為の禁止を定めるとともに、同法九二条一項三号、九三条一項一号にその違反行為に対する罰則を定め、もつて、争議行為及び怠業的行為をそそのかし又はあおり等した者に止まらず、その単純参加者をも処罰することとしたのを引継いだものであつて、各条文の文言等に照しても、本条項にいう争議行為及び怠業的行為の概念は、国家公務員法にいうそれらの概念に源を有すると解されるところ、同法の右規定は、当初旧労働組合法、労働関係調整法による警察官吏、消防職員及び監獄勤務者等に対する労働組合の結成、加入や争議行為の禁止等の例外を除き、その勤務関係につき原則として当時の労働三法が適用されていた国家公務員に対し、「何人といえども同盟罷業、又は、政府の活動能率を阻害する怠業その他争議行為をしてはならない」として、その団体交渉権及び争議権を否認すべきことを命じたいわゆるマッカーサー元帥書簡に基き、昭和二三年七月三一日政令第二〇一号により、全ての公務員に対し団体交渉権が否認されるとともに、二条一項において「何人といえども、同盟罷業又は怠業的行為をなし、その他国又は地方公共団体の業務の運営能率を阻害する争議手段をとつてはならない」として、これが違反者に対し一律に一年以下の懲役又は五〇〇〇円以下の罰金に処するとされたのを承けて、同年法律第二二二号による同法の全面的改正の一環として挿入されたものであつて、労働基本権たる争議行為の禁止を主眼とするものであることは多言を要しないところであり、そこにいう争議行為の概念は、その目的に関し当事者間の解決になじまないものも含む点において、必ずしも一般労働法上ことに労働関係調整法に定める争議行為の概念とは一致しないと考えられるが、いずれにせよ怠業的行為と合して集団的な労使関係における労働者の団結体の意思に基く集団的組織的行為が規制の対象とされていること等を総合考慮すると、本条項にいう怠業的行為は、少なくとも勤労者たる隊員の団結体の意思に基く集団的組織的行為であることを要するものと解するのが相当である。

五次に、自衛隊法一一九条二項後段に規定するせん動の意義について検討するに、右にいうせん動とは、特定の行為を実行させる目的をもつて、文書若しくは図画又は言動により、他人に対し、その行為を実行する決意を生ぜしめ又は既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることを意味するものと解するのが相当であり(最高裁昭和三三年(あ)第一四一三号同三七年二月二一日大法廷判決・刑集一六巻二号一〇七頁・同四三年(あ)第二七八〇号同四八年四月二五日大法廷判決・刑集二七巻四号五四七頁参照)、その結果実際に被せん動者が実行を決意するに至らず若しくは既存の決意が助長されるに至らなかつたとしても、右せん動の成否に影響を及ぼすことはないと解される。しかして、せん動概念の中核的要素は、被せん動者をして特定の行為を実行させ又は既存の決意を助長させるような勢いを有する刺激を与えることにあるが、これは与えられた刺激すなわち表現行為の意思決定に及ぼす影響ないし効果の程度に関する問題である。

ところで、与えられた刺激の意思決定に及ぼす影響ないし効果の程度につき、検察官は、せん動罪が成立するためには、被せん動者が当該特定の行為に出る何らかの危険性が存在することをもつて足り、その危険性が具体的かつ高度なものであるとか客観的蓋然性として存在することを要しない、と主張する。

しかしながら、せん動罪は言論集会その他の表現活動に一定の制約を加えることを内容とするものであるうえ、いわゆる抽象的危険犯に属し、構成要件所定の外形的行為(せん動行為)が存在するときには結果発生の具体的危険(被せん動者が呼びかけられた行為に出る具体的危険)が生じたと否とにかかわらず犯罪が成立するものとされており、また、せん動行為に出たものは何人たるを問わず処罰の対象とされているのであるから、同罪所定の外形的構成要件すなわちせん動の概念を広義に解するときは正当な表現活動をも抑圧する結果を招くおそれがある。もともと抽象的危険犯は、例えば刑法一〇八条の現住建造物放火罪などにみられるように、実害発生の危険性の高い行為を定型化しこれを外形的構成要件として規定するのが常であり、せん動罪もその例外ではないから、同罪所定の外形的構成要件たる「せん動行為」は社会に対し実害を与える危険性の高い表現行為を犯罪行為として定型化したものと解されるうえ、自衛隊法一一九条はせん動者に対し当該行為に出た実行正犯者と同一の法定刑を定めていることに鑑みると、自衛隊法にいうせん動、就中表現行為によつて与えられた刺激の程度について、被せん動者が当該行為に出る何らかの危険性が存在することをもつて足れりとすることには疑問がある。せん動罪の外形的構成要件たる「せん動」の概念を一義的定型的な概念に構成することには限界がないわけではないが、表現の自由の不当な抑圧を回避し、刑罰法令に不可欠である行為規範としての機能を全うさせるため、同罪の立法趣旨を損わない限度でこれを限定的に解釈する必要がある。こうした見地から同罪にいうせん動、就中被せん動者に与える刺激の程度について考えるに、その刺激の程度は、(1)表現行為自体の内容、殊に表現行為が怠業的行為の内容を特定しているか否か、その怠業的行為の実施時期方法について言及しているか否か、表現行為が被せん動者の判断の中正を妨げるような脅迫的詐術的言辞を含むか否か、(2)表現行為の時期、場所、方法、回数その他の態様、(3)せん動者と被せん動者の関係、殊にせん動者が被せん動者に対し統制権その他の支配力を及ぼし得る立場にあつたか否か、(4)被せん動者の地位、殊にその職務の種類、内容、職制上の管理態勢の強度、(5)被せん動者をとりまく環境、殊にその職場内に被せん動者らの団結組織が既に存在したか否か、またはこれを形成しようとする動きがあつたか否か、当時職場内に労使の対決を生み出すような紛議が存在したか否か、また当時の政治的社会的情勢は当該表現行為に同情的なものであつたか否か、(6)被せん動者の上司による教育その他職場内における討論等を実施することにより被せん動者らが当該行為に出ることを回避し得たか否か、(7)その表現行為が被せん動者に対し現実にどのような影響を及ぼしたか等の諸事情を総合考慮し、被せん動者がその呼びかけに応じて当該行為に出る現実的可能性があると認められる程度のものであることを要するというべきである。

これを本件についてみるに、まず「アンチ安保」第二号の本文は前記認定のとおりであつて、治安訓練拒否等の文言は末尾に唐突に万年筆で記入されたもの、公訴事実(二)及び(三)記載の各ビラは、単に「治安訓練拒否」等の一方的な主張が記載されたものであるうえ、種々の主張が記載されたより多数のビラとともに雑然と掲示されたもの、「アンチ安保」第三号は、冒頭に「なぜ我々は治安訓練を拒否する必要があるのか」云々と説き起こしているが、その余は概ね隊員がプロレタリア階級の一員であることや赤軍への結集等を主張するものであつて、いずれも「アンチ安保」第一号の内容をあわせて通覧するまでもなく、デモ鎮圧訓練ないし治安訓練の拒否の主張よりも、むしろ急進的な共産主義に基く現体制、自衛隊等に対する批判に重点があると受け取れること、右「アンチ安保」各号においては発行の主体も明らかでなく、公訴事実(二)及び(三)記載の各ビラに用いられた全自衛隊共産主義者同盟等の名称も、架空の団体名を冒用したものに過ぎず、これまでその種名称を用いた活動の実績も全くなかつたこと、幹部はじめ一般隊員の認識としては、同群の行なう特別警備訓練は治安出動の訓練とは全く別物と考えられていたこと、右ビラには、格別脅迫的言辞はなく、また、右架空の団体名を用いた部分を除いては詐術的言辞もみられないこと等に鑑みると、同群の行なう特別警備訓練を拒否すべき理由等の具体性や説得力に関しては、本件各ビラの内容自体甚だ不十分なものであつたといわざるを得ないし、本件各ビラはいずれも庁舎等に掲示あるいはバス内座席に差し込まれたものであつて、被告人の手による直接の手交や訓練拒否に関する隊員への根回しも格別行なわれていないこと、当時被告人は弱冠二〇歳の青年で、その地位も三等空曹に過ぎなかつたこと等の事情をもあわせ考慮すると、被告人の本件行為は、現体制や自衛隊等に対する批判の部分は極めて激烈であるものの、訓練拒否の意思決定に及ぼす影響、効果そのものは極めて乏しかつたといわざるを得ない。また、右「アンチ安保」第三号掲記の赤軍に結集せよとの表現部分は赤軍に結集したうえ同訓練を拒否せよというにあるよりも、前述のとおり現体制、自衛隊等に対する批判にあり、また、その余の本件各ビラの内容はいずれも同訓練の不当性を単純に主張するのみで、集団的組織的行為として訓練拒否をなすべきことに言及するものでないこと、被告人においても、本件各ビラの掲示等の行為以外に直接隊員に対する説得等を行なうなどして具体的な組織作りを行なつていたふしは見られず、自ら同訓練拒否の挙に出た際にも、自らの信念に基き同訓練を拒否する旨を述べるに止まり、組織的な行動の一環であるとか背後の組織の存在をほのめかすこともなかつたのであり、被告人の本件行為は、集団的組織的行為としてなされるべき怠業的行為を呼びかけたものと言うよりは、むしろ個々の隊員に対し、前記訓練に関し上官への不服従を呼びかけたものに止まると解するのが相当である。他方で、隊員は、自衛隊法によりいわゆる労働三権が全て否定され、刑罰をもつて団体の結成、争議行為等が禁止されているのみならず、個々の服務規律違反に対しても刑罰による制裁が種々規定されており、一般の公務員とは隔絶した法的地位に置かれているところ、これら諸規定の合憲性についてはさておくとしても、このような国家公務員中最も厳しい制約が、自発的に入隊した隊員に対し一定の心理強制を与えることは明らかであるうえ、自衛隊法施行規則五一条によれば、一等空曹以下の自衛官は営舎内に居住する義務があるとされており、現に同分とん基地には当時約一六〇名の隊員が営舎に居住していたが、その日常は山腹及び山頂を中心とする同分とん基地内のみで行なわれることが原則で、営内服務点検等隊内での日常生活のみならず、基地外での行動に対する規制も細部にわたるものがあり、さらに、公訴事実(一)記載の行為がなされた後は、隊員との日常会話を通じた機会教育が強化されたり、隊長らによる個人面接等が実施されるとともに、現実に訓練拒否に出た被告人に対しては即日配置転換等の措置がとられており、隊員による規律違反等の行為に対する防止ないし抑制の態勢も十分なものがあつたこと、当時同分とん基地には労使の対決を生み出すような紛議はなかつたうえ、争議行為ないし怠業的行為を遂行すべき隊員の団結体ないし集団はなんら組織されるに至つていなかつたこと、同群の行なう特別警備訓練に違憲違法の疑いありと主張する隊員はみられず、もとより各ビラの内容や同訓練について格別の議論が起こることもなく、現実に訓練拒否の挙に出た隊員もいなかつたこと、同訓練が中止された理由は、被告人の背後関係等の調査に入手を要したことにあること等の事情をもあわせ考慮すれば、被せん動者とされる隊員の側においても、被告人の本件行為により同訓練を拒否する決意を抱くに至る蓋然性は極めて乏しかつたといわざるを得ない。

右にみたところによれば、被告人の本件行為は、仮に既に同訓練拒否の決意を有していた隊員がいたならば、その決意を助長するに足る程度の勢いを有したことはあながち否定できないにせよ、一般隊員に対し新たに同訓練拒否の決意を生じさせるに足る勢いを有していたものとは言い難く、まして隊員に対し集団的組織的に右訓練を拒否すべき旨の合意を形成せしめるに足る勢いを有したとはとうてい認めることができない。また、当時同群において、既に同訓練拒否の決意を有する隊員がいたことについては、なんらこれを認めるに足る証拠がない。

六以上のとおり、被告人の本件行為は、検察官の主張する構成要件に該当しないことが明らかであるといわねばならない。なお、本件の捜査段階における逮捕勾留の事実中には、自衛隊法六一条一項に定める政治的行為の禁止違反(自衛隊法施行令八六条五号、八七条一二号)の事実が含まれていたところ、政治的行為の禁止違反は、怠業的行為のせん動と法定刑は同一であるものの、個別的な服務関係における規律違反を規制の対象とし、公務員の政治的中立性の確保を目的とする点で、罪質が全く異なるものであること、本件起訴は同法六四条二項に定める怠業の遂行のせん動という訴因のみでなされており、その後も一一年余にわたり怠業ないし怠業的行為の遂行のせん動の成否をめぐつて攻撃防禦が尽くされてきた本件訴訟の具体的な経過等に鑑みると、本件においては、政治的行為の禁止違反の訴因に変更を命じてまでその成否に言及すべきでないことは、多言を要しないところである。

七なお、弁護人らが主張、提起した前記の憲法上の争点は、確かに一つとしてなおざりにし難い重要な争点といわねばならない。しかしながら、刑事事件において違憲の主張がなされている場合に、明らかに構成要件該当性が存しないとの心証を裁判所が抱いたときは、さらに審理を続けたうえあえて憲法判断に及ぶ論理的な必然性はない。公訴提起以来既に一一年余を経ながら、その間に取調べ得た証人の数は検察官請求にかかる公訴事実立証のための証人五名に止まつており、憲法判断に遺漏なきを期するためには今後もかなりの審理期間が予想されることに鑑みると、既に被告人の行為が構成要件に該当しないことが明らかとなつた以上、その余の主張に対する判断に及ぶまでもなく無罪の判決によつて本件訴訟に終止符を打つのが妥当である。

八よつて、刑訴法三三六条により、被告人に無罪を言渡すこととし、主文のとおり判決する。

(茅沼英一 高塚圭介 的場純男)

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